しんめいじんじゃ まえどひがしまち
岐阜県各務原市前渡東町1-86
創建年代は不詳。順徳天皇の治世下である建保年間には存在したと伝わる。棟札には「奉遷宮石瀬神明社天正十二年二月十六日」とある。 『美濃國神明帳』には、旧各務郡座二十二座のうち従五位下石瀬大明神として..
創建年代は不詳。順徳天皇の治世下である建保年間には存在したと伝わる。棟札には「奉遷宮石瀬神明社天正十二年二月十六日」とある。 『美濃國神明帳』には、旧各務郡座二十二座のうち従五位下石瀬大明神として名が見える。この記述のとおり、かつては石瀬大明神と号し、郷内の一之宮であった。また、郷内には神明社が三社あり、いづれも石瀬神明社より分社したものである。、 承久の乱当時は、官軍の諸侯・諸将、すなわち大屋能登守・佐々木山城守判官高重・下総前司小野盛綱・平ノ判官三浦胤義鏡右衛門尉等の陣所であった。これは古棟札にも祈願所と記述がある。 元亀年間には大洪水により一部流失紛失した。天正三年に社殿を改築、奉遷宮の祭典があった。天正五年二月にも奉遷宮の祭殿があった。慶安二年正月、寛文八年七月、貞享三年三月、享保五年二月、明治二年三月、明治二十二年二月、明治三十四年十月、明治三十五年三月など古棟札に記述があり明らかである。 明治維新後には皇族や大臣等の参拝をたびたび受けている。明治18年5月21日に黒川陸軍中将、明治25年3月11日に内務大臣・品川弥治郎が参拝している。品川大臣は末社も親しく参拝せられ、蛇ヶ渕波戸岩・辨天岩・根上がりの松・竜宮ヶ城等にまつわる元亀年間の伝説について聞かれ、榊を記念樹として御手植えされた。明治30年2月10日に桂太郎陸軍中将、明治31年5月18日に東久邇宮、明治32年3月20日に乃木希典閣下の参拝があった。
天照大神(あまてらすおおかみ)
10月15日