すがじんじゃ
三重県津市垂水字上屋敷 1147
勧請年月日は不詳であるが、「この里は往昔、水に不自由なるにより土地の人民困却し居れるに或時何れの人とも知れざる翁里人に告げて曰く、この里に住める者水源を知らざるにより難渋せり、汝等に是を知らしめめん..
勧請年月日は不詳であるが、「この里は往昔、水に不自由なるにより土地の人民困却し居れるに或時何れの人とも知れざる翁里人に告げて曰く、この里に住める者水源を知らざるにより難渋せり、汝等に是を知らしめめんとして所々誘引し地を穿ち見せられしかば忽ち清水垂り出ず、今此の社地の辺りに至るに老翁何れに行かれしか終に知れざりき、それより所々より清水流出し人民安く住居せり、何れも歓喜して全く神老翁と化して現れ水源を知らしめ賜うなりとて、其跡を隠し給う所に神社を建て其の処を垂水の里と称し産土神と崇敬せり」と社伝にある。明治44年加良比乃神社へ合祀されたが、昭和25年加良比乃神社炎上の厄に逢うことを契機に氏子一同逢い謀り元の須賀神社のご祭神を分祀して須賀神社として独立することになり、昭和26年正式に神社を設立した。
《主》建速須佐之男命,《配》大山祇神,宇迦之御魂神,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天之穂日命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命,多紀理毘売命,市寸島姫命,多岐都比売命,天児屋根命,応神天皇