やはしらじんじゃ
三重県度会郡大紀町大内山 1138
当社は宮川の最上流にて伊勢と紀州の境に位置し、水清く空気清浄にして住古は鬱蒼たる大森林中に鎮座せられ、二天八王子社と拝し奉り、孝謙天皇の御代、天平元年日吉の国より渡らせ給うとも、恒武天皇の御宇延暦十..
当社は宮川の最上流にて伊勢と紀州の境に位置し、水清く空気清浄にして住古は鬱蒼たる大森林中に鎮座せられ、二天八王子社と拝し奉り、孝謙天皇の御代、天平元年日吉の国より渡らせ給うとも、恒武天皇の御宇延暦十四年に日吉の国から又一説には紀伊の国から渡らせ給うともあり何れが真実か判断し難いが、明治年間迄残存していた千数百年を経た大樹を考える時、その創立の更に古からんものと信ぜられる。神宮文庫の書類にみゆる"梅ヶ野"とは現在の梅ヶ谷のことであり、その梅ヶ谷字笹ヶ野に鎮座せらる当社は明治の末頃迄、駒・間弓・川口・中野・米ヶ谷・五ヶ村の産土神として崇め、旧大内山村民がその氏子であった。 明治四年、八柱神社と改称し、その節、各小字に散在・奉祉していた。津島神社・稲荷神社・秋葉神社・愛宕神社・山神社・南宮神社、又菅谷山頂にあった大内神社の七社を八柱神社の境内へ移し、後、正式に合祀した。
《主》正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊,天津彦根命,活津彦根命,湍津姫命,天穂日命,熊野櫲樟日命,田心姫命,市杵島姫命《合》武速素盞嗚尊,宇迦之魂命,火産霊神,加具豆知神,大山祇神,金山彦命,大内但馬守,