建久五年(1194年)八月十五日、田利赤城山の城主 田利五良時久(広沢実方)が宇佐八幡の御分霊をホコリという山に勧請し、広沢一族の鎮守として永く崇敬された。田利、皆瀬、仁賀、光清、灰塚、大谷、棗原、三良坂の8箇所村の総氏神であった。元和年間(1615~24年)頃までは長源庵を別当寺とした。社禄も百石を有したが福島正則により没収され、別当寺も廃滅した。「芸藩通志」に田利村内の地名として、正月田、二月田などや雲賽油免、御座免などがあると記されており、当神社の神田、社領の名残である。なお、御神像に応永十二年(1405年)の銘がある。