最上川河岸に一小漁村があり、大同2年(807)に一漁民が海岸で稲荷大神の御神霊を発見し、ここの鎮守としました。それがこの神社の始まりだとされています。弘仁年中に弘法大師が湯殿山を発見された時に、対岸より川を渡り、この石の上に腰を下ろし、茫として涯しなき海岸を見渡し、高野浜と名付けたともされています。その時に座られたとする腰掛け石があります。何回も火災にあいますが、再建しています。船玉大明神の合祀、最上義光による社殿再建などで現在に至ります。本間光丘が大浜に作った常夜灯は、新町稲荷神社前とされる絵図面が残っています。正月には獅子舞の巡幸があり、夏祭りには相撲、演芸があります。以前は芸娼の踊りが盛大に行われました。芸娼の信仰の大変篤い神社でした。旧酒田のお稲荷さんの元祖と云われています。