もりいなりじんじゃ
東京都中央区佃1丁目4-4
正保元年江戸隅田川に埋立として出来た鉄砲洲干潟百間四方を徳川家光に招かれ摂津国西成郡佃村から東上した漁民が慶安二年江戸城内評定所に於いて拝領し島の名を佃島として居住することになった森孫右衛門一族の..
正保元年江戸隅田川に埋立として出来た鉄砲洲干潟百間四方を徳川家光に招かれ摂津国西成郡佃村から東上した漁民が慶安二年江戸城内評定所に於いて拝領し島の名を佃島として居住することになった森孫右衛門一族の推挙により孫右衛門の実弟九左衛門の娘の妙を嫁とした佃忠兵衛則之が佃島の初代名主を務めることになった。 佃島の発展と住民の安泰を祈願するために森家の敷地内(現在地)に稲荷神社を造り進行したことが継承され現在に至るも住民の進行が厚く毎年二月初午祭を執り行っている。
稲荷神(イナリノカミ)
月島駅 徒歩3分