だいあんじ
福岡県朝倉市上秋月1885
元禄十四年三月(三百年前)秋月黒田藩の祈祷寺として、二代藩主長重公の命により秋月日照院三代住職吉井素順によって開基された寺院である。 本尊は阿弥陀如来座像、脇士は地蔵菩薩、如意輪観音菩薩である。 ..
元禄十四年三月(三百年前)秋月黒田藩の祈祷寺として、二代藩主長重公の命により秋月日照院三代住職吉井素順によって開基された寺院である。 本尊は阿弥陀如来座像、脇士は地蔵菩薩、如意輪観音菩薩である。 本堂庫裡は秋月黒田藩の南御殿の一部を移したもので、山門には野菜や動物の繊細な彫刻がほどこされている。 箱崎八幡宮の鐘の銘を書きし霊空上人も暫くこの寺に籍を置きしことありて、霊空大和尚(一六五二~一七三九年)の歯骨塔が裏山にある。 霊空上人は夜須郡大塚村の出身で、のちに比叡山に入山され、ときの霊元天皇(一一二代)より「文が簡にして功徳深き経を撰び上覧に備えよ」との命が下り霊空上人が大蔵経を渉猟してこの経(延命十句観音経)を撰び出し天皇に献じたといわれている。 また、絵の仙崖、書の豪潮と並び称される能筆家の豪潮が本寺に立ち寄り、安永四年に宝篋印塔を建立した。
清涼山
天台宗
元禄十四年三月
阿弥陀如来座像阿弥陀如来座像
涅槃會掛軸(四・五尺×八・三尺)地蔵菩薩(木像座像)