附物の地名由来は、有野川支流の八多川上流域に位置し、古代の豪族秦氏が統括していた大蔵に納める工作品の作物所から、附物になったと伝えられている。古くは衝毛野・付物といい、江戸期の古文書には付物村と載っている。付物村は、丹波国福知山藩領であったが、のち三田藩領となり、慶長十年の『摂津国絵図』の「摂津高改帳」によると、474石余、さらに、「天保郷帳」・「旧高旧領」では、ともに709石余となっており、裕福な地区であったと思われる。
当社は、八王子の親神である天照大御神を主神とし、更に、八王子の神々(天之忍穂耳命・天之菩卑命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須昆命・多紀理毘売命・市寸嶋比売命・狭依毘売命の五男三女の神)を合わせ祀っている。
元、八多神社の摂社として村内に鎮守し、八多神社を大宮(氏神)と崇め祭祀を行なっていたが、明治22年(1889)、八多村の大字となった際、八多神社より分離して独立神社となった。今も、年頭の御頭神事を年番を以て奉仕している。