なんぐうおおじんじゃ
三重県亀山市太森町 1308-1
当社は、社伝によれば、元弘年中(1331年~1333年)の創立と伝えられ、峯城城主の関家(峯氏)の奉仕した神社で、御霊代は美濃(岐阜県)の南宮大明神の御分霊である。 織田信長が勢力を拡大した天正年中..
当社は、社伝によれば、元弘年中(1331年~1333年)の創立と伝えられ、峯城城主の関家(峯氏)の奉仕した神社で、御霊代は美濃(岐阜県)の南宮大明神の御分霊である。 織田信長が勢力を拡大した天正年中(1573年~1593年)に関家(峯氏)は衰えたが、その子孫は代々太田村の当社を産土神として尊崇していた。 当社のある場所は元は大年神社の境内であったが、明治31年7月、南宮大神社をここに遷座し、大年神社を当社の境内社とし、本来境内社であった八幡神社は当社に合祀された。また明治39年の勅令により神社合祀が進められたが、太田村では村内の小社を合祀するに留め、当社は従前通り同村の産土神社として存続されて、今日に至るまで同地区の人々の崇敬を集めている。 当社の神紋は「右三巴」である。
《主》金山毘古命 《配》息長帯比賣命、天眞名鶴命、天照大御神、建速須佐之男命、大穴牟遅神、宇賀乃御魂命、大山津見神、木花咲耶比賣命、火乃迦具土神
斎旦祭、祈年祭(御鍬祭)、天王祭、秋祭(御鍬祭)、新嘗祭