昭和51年の酒田大火で辺りが焼土と化した中、たった一つぽつんと残ったお堂です。昔、与惣右エ門というものが海辺で「与惣右エ門与惣右エ門」と名前を呼ぶ声を聞き、振り返ると閻魔像が流れついていたということです。家に持ち帰ると「お堂を建ててくれ、ここに建ててくれ」というのでお堂を建てたと言われています。お堂を中心に十王堂町が出来、それが訛って浄土町とも言われていました。この十王堂は閻魔堂ともいわれます。ご本尊は大きい閻魔様の腹の中に入っている外から見えない小さい閻魔様です。十王は冥土で裁きをする十尊です。閻魔様はその中の一尊です。三途の川で六文銭を持たない亡者の衣服を剥ぎ取る奪衣婆像も安置されています。以前は少し離れた場所にありましたが、大火後にゴロで移動し移築しました。土蔵作りの為、焼けなかったのかもしれません。 十王堂のお祭りが正月とお盆にあります。いろいろな掛け軸を出しますが、脆くなっていて全部を掛けることができなくなりました。手作りの船は帆の陰に男女が乗っています。この帆に和尚さんが船の名前を書き、ロウソクを立て、町内会の人が頭の上に乗せ、和尚さんの鐘の音と共に町内を夜回ります。金魚2匹とご飯と茄子の切った物を供えます。 ご飯がどんぶりに山の形に盛られています。実は中に大根が入っています。後で、赤や黄色の紙を竹に結んで梵天にしたものを、和尚さんがご飯に刺すためです。茄子には、榊のような葉っぱに水をつけて垂らします。外にある笹竹は、南無阿弥陀仏と書いてある青と黄と赤の札を下げ、子供達が町内を回り、戻ってくるとお供えの物を貰います。最後に和尚さんがお経を唱えて、ここで船やいろんなものを焼いて終わります。昔は新井田川に船で行って流していました。