うきひじんじゃ
三重県津市河芸町浜田 1322
社記によれば、「元、二社あり。何れも八王子宮という。今より約九百年前、寛弘(1004一1011)の頃はじめて一社を建てて五穀の豊穣を祈ったが、後すたれたので、天和三年(1684)大工の善太郎が社殿を..
社記によれば、「元、二社あり。何れも八王子宮という。今より約九百年前、寛弘(1004一1011)の頃はじめて一社を建てて五穀の豊穣を祈ったが、後すたれたので、天和三年(1684)大工の善太郎が社殿を造営(中略)爾来御社殿造替一三回に及び、今日の社殿は明治二四年三月の建立にかかるもので、明治三九年一〇月に二社を併せて宇氣比神社と改称」とある。小字に鎮座の八社をも合わせて合祀する許可を受け、同年一一月一二日に合祀祭を執行した。現在の姿になったのは、昭和一四年一〇月に拝殿を再建してからである。
《主》国常立命,多紀理比売命,市寸島比売命,多岐都比売命,天忍穂耳命,天之菩日能命,天津日子根命,熊野久須毘命,活津日子根命《合》菅原道真,木花佐久夜毘売命,埴山比売命,大山祇命,