べっくはちまんじんじゃ
徳島県徳島市応神町中原宮ノ東35
旧神饌幣帛料供進神社。万寿2年(1025)山城国石清水八幡宮を別宮浦(徳島市川内町上別宮)に分祀し、萱島荘(石清水八幡宮の荘園:今の川内・応神・松茂・北島あたり)の守護神として奉斎したのに始まる。別..
旧神饌幣帛料供進神社。万寿2年(1025)山城国石清水八幡宮を別宮浦(徳島市川内町上別宮)に分祀し、萱島荘(石清水八幡宮の荘園:今の川内・応神・松茂・北島あたり)の守護神として奉斎したのに始まる。別宮八幡と称するのは、石清水八幡の別宮であるところからきた。それが、現社地に遷祀されたのは、度々水害にあいその難を避けるためであった。その後、萱島荘は細川氏の領地となり、文安4年(1447)6月15日四国管領讃岐守細川勝元は、社殿を改築するとともに2000貫文を献納し、守護寺を建て祭事を執行した。更に三好義賢は、十六坊を置き社殿を改築し1000貫を献納した。天正年間、長宗我部の兵乱に焼失したが、蜂須賀氏入国後、社殿寺坊を再建、社領21石を与えた。明治7年(1874)郷社に列した。なお応神の地名は、明治22年古川・中原・吉成・貞方・西貞方の5ケ村合併の折、当社の祭神応神天皇の御名に因んで名づけられた。
應神天皇(おうじんてんのう) 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) (相殿) 素盞嗚命(すさのおのみこと) 倉稲魂命(うがのみたまのみこと) 罔象女命(みずはのめのみこと)
旧郷社
万寿2年(1025)
10月15日
無し。