しかおいじ
北海道河東郡鹿追町南町2丁目2
当山は奥田松次郎氏が一宇を建立したのが始まりである。また同氏は「軍人一宮神社」などを建立し「古義真言宗金毘羅本院」の許可を受けて開教中のところ昭和元年に示寂した。 その後数代を経て昭和11年、..
当山は奥田松次郎氏が一宇を建立したのが始まりである。また同氏は「軍人一宮神社」などを建立し「古義真言宗金毘羅本院」の許可を受けて開教中のところ昭和元年に示寂した。 その後数代を経て昭和11年、菅賢章師が本山より開教師として特派され着任し荒廃しかけた教会の復興と密宗の弘通に力をそそいだが、大東亜戦争の始まった昭和16年に召集され、その間夫人愛子氏が留守を守り、同22年に帰還した。翌23年に教会を現在地に移転し新本堂を建立と同時に「鹿追寺」と寺号公称した。昭和57年開基住職菅賢章師遷化の後、第二世として長男訓章師が就任。平成28年仁木町銀山孝徳寺(第60番札所)より関道俊師が第三世として就任し現在に至る。 当寺境内には三十三観音霊場、お堂には薬師如来、子育て延命地蔵尊、十勝八十八ヶ所霊場第78番札所本尊阿弥陀如来、十勝北斗12支めぐりの戌亥本尊を奉安している。
普光山
真言宗
豊山派
1918年(大正7年)
寺院ご本尊 不動明王 北海道八十八ヶ所霊場ご本尊 十一面観世音菩薩 十勝北斗十二支めぐり戌亥の守りご本尊 阿弥陀如来
奥田松次郎
北海道八十八ヶ所霊場第四十一番札所 十勝北斗十二支めぐり 戌亥 十勝八十八ヶ所霊場第七十八番札所
有り