当寺は、昭和10年清水町御影の照明寺住職山本祐澄により当町に大師教会光明支部設置の許可を受け、大師信者である広瀬ヨノ宅にて教線を張ったのに始まり、その後、山本師の弟子前川光榮が引継ぎ高野山芽室教会となりました。
昭和17年東2条5丁目に本堂を設立、昭和19年、西沼行貫が教会主管代務者となり、同24年寺号公称し開基住職に。
師は寺門興隆と布教に心血を注ぎ寺院を整え、同45年行貫遷化後、師の妻行基尼は同47年行眞が晋山するまで寺を守りました。行眞は住職就任直後、足掛け6年かけ寺を現在地に移転し普請します。
当山には行貫の弟子勇弘道が謹刻した千体の地蔵菩薩をおまつりしている御堂があり「北海道十勝北斗十二支 福徳神めぐり」の霊場(全六ケ寺)になっています。そのなかで、「申」と「酉」の守本尊とエトの霊石を奉安しています。
三昧堂は、当寺の施設の中にあるもので、住職が専ら修法する道場で、一般の檀信徒の入堂はできません。
ここの本尊は不動明王でその他、歓喜天、ダキニ天、龍神、聖徳太子などが奉安されています。