いなりじんじゃ
北海道中川郡幕別町札内文京町28番地
明治三十年、坂本茂平、坂本養蔵らが、人心の和合を願い、藤原農場主の郷里である三州豊橋から豊川稲荷の分霊を迎え農場内(南三線三十九番地付近)に祠を建て安置した。その後明治四十二年、札内に停車場がら開業..
明治三十年、坂本茂平、坂本養蔵らが、人心の和合を願い、藤原農場主の郷里である三州豊橋から豊川稲荷の分霊を迎え農場内(南三線三十九番地付近)に祠を建て安置した。その後明治四十二年、札内に停車場がら開業し賑わいを見せた市街の一角(スーパー加藤の敷地)に移転した。 その後、同じく賑わいをみせてきた札内市街に移転することになったが、加納佐兵衛、池崎倉松らは「一部落ニ小祠ノ分立ハ人心和合上遺憾ナリ」と合祀するよう斡旋 、大正四年に現在の「働く婦人の家」の敷地に社殿を建てて藤原農場稲荷神社と併祀し「札内神社」と称した。 その後、国道三十八号線の拡幅が予定されて神社敷地が狭くなる事から、札内墓地の南側に土地を求め、社殿などを建設して摂社の稲荷神社も一緒に遷座したのは昭和四十九年十月一日である。 令和五年七月摂社の稲荷神社の社殿新築、同九月鳥居新築したものである。 また社殿前に立つ石燈籠は、大正十五年四月とあるので遷座前の建立したものを移転したものである。 (幕別町百年史第5章福祉・宗教 1374〜1375頁参照と北海道神社庁ホームページを参照)
神明造
JR根室本線札内駅より徒歩10分
有り
無し