じょうれんじ
長野県上伊那郡中川村葛島161
室町時代永正の頃、既に葛北羽場先に堂宇が複数棟設けられ朝夕の権行がなされていた。後、慶安二年福聚海法印が小垣外に移し福聚庵と称し、元禄年間に福聚山浄蓮寺となる。享保六年鉄門耕雲大和尚を勧請開山に迎え..
室町時代永正の頃、既に葛北羽場先に堂宇が複数棟設けられ朝夕の権行がなされていた。後、慶安二年福聚海法印が小垣外に移し福聚庵と称し、元禄年間に福聚山浄蓮寺となる。享保六年鉄門耕雲大和尚を勧請開山に迎え、現在地に曹洞宗福聚山浄蓮寺として伽羅を整えた。又実質的に寺の基礎を固め独自の寺格を作った二世然外受天大和尚は中興の祖として仰がれている。
福聚山
曹洞宗
鎌倉末期
聖観世音菩薩
鉄門耕雲大和尚
源三位頼政
二世然外受天大和尚
伊那坂東三十三カ所第四番札所