大正3年中富良野弘照寺開基住職岩田實乗師により高野山説教所として開基。昭和3年末富山県出身高野山で修学を積み釧路西端寺から来帯した大多賀清洞師夫妻が借地に建てた12坪の大師堂に定住して大師信仰の宣揚に勤めました。
昭和11年本堂新築、同18年高野寺公称、十勝川温泉協会設立糠平八十八ケ所開創、糠平寺創立。更に昭和46年現在地に移転新築し同58年82歳で遷化の間、生涯を寺門興隆と教化に専念し、二代住職実忍に至ります。
堂内には、日本唯一英霊馬頭観世音菩薩、子安弘法大師、宇賀大明神、タイ国御請来仏舎利と降魔釈迦如来、本堂内に八十八ケ所御尊像が奉安されています。