どうじまるじんじゃ
宮崎県西都市大字童子丸583
天孫天津彦穂瓊々杵命笠狭崎に行幸した際、大山祇命の二女木花咲耶媛命を皇妃と定め三皇子を生んだ。本村は三皇子をご生育の地であるところから、古くから童子丸と言うと語り伝える。神殿より南六百メートルの所に..
天孫天津彦穂瓊々杵命笠狭崎に行幸した際、大山祇命の二女木花咲耶媛命を皇妃と定め三皇子を生んだ。本村は三皇子をご生育の地であるところから、古くから童子丸と言うと語り伝える。神殿より南六百メートルの所にご降誕の遺跡がある。無戸室(うつむろ)といい、木花咲耶媛がお産をされたとき、身の証しをたてるため、四方を塗りふさいだ戸のない室で、しかも部屋に火を放って三皇子をお産みになったという。そのかたわらに児湯の池があり、三皇子が産湯を使った池だといわれ、日本最初の産婆の神、袷縞様、青島様が祭られている。景行天皇のころから当地を子湯の県といい、郡名もこの地より起こったといい伝える。 当社は三皇子を祀って三ノ宮とし、白鳳二辛亥年、大己貴命・少彦名命二柱の神を相殿に合祀した。棟札によれば、寛永四年(1627)九月、当地守護藤原朝臣弘純により再興され、その後、寛永七年(1667)から嘉永六年(1853)までの間に七度再興されている。明治初年までは山王権現と称したが、明治四年、童子丸神社に改め現在に至る。
火蘭命(ほすそりのみこと) 天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと) 火明命(ほあかりのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 宇賀魂命(うかのみたまのみこと) 保食命(うけもちのみこと)
村社
本殿(流造)3.15坪 拝殿7坪
11月3日
有り