よしだじんじゃ
茨城県ひたちなか市東石川2-5
応永15年(1408年)八幡、稲荷の二神を祭祀し創建。元禄9年(1696年)水戸藩主徳川光圀公が八幡を廃し稲荷を抹社として、新たに吉田大明神を勧請せしめ東石川の鎮守とし、代々奉斎して今に至る。 (..
応永15年(1408年)八幡、稲荷の二神を祭祀し創建。元禄9年(1696年)水戸藩主徳川光圀公が八幡を廃し稲荷を抹社として、新たに吉田大明神を勧請せしめ東石川の鎮守とし、代々奉斎して今に至る。 (昭和51年12月 改築記念碑より抜粋) 改築記念碑によると應永15年(1408)に八幡・稲荷の2社を祭祀として創建するも、例のごとく光圀公の八幡潰しにあい、元禄9年に吉田神社と改めたそうです。因みに稲荷神社は末社として残されています。境内にはその他、熊野神社や豊年神社が祀られています。この神社の近くには、旧勝田市役所及び私の母校東石川小学校が有ります。
日本武尊