しょうふくじ
岡山県倉敷市茶屋町320
江戸時代の宝暦5年に妙林尼によって庵舎五反庵として創建され、妙空尼を阿波国から拝請して庵主としたそうです その後、乾坊と改称して二日市の駕龍寺の末庵となったそうです その後、常空尼、高俊尼、常應..
江戸時代の宝暦5年に妙林尼によって庵舎五反庵として創建され、妙空尼を阿波国から拝請して庵主としたそうです その後、乾坊と改称して二日市の駕龍寺の末庵となったそうです その後、常空尼、高俊尼、常應尼と代々尼僧によって法燈が受け継がれ、嘉永3年に常應尼によって現在地に移転されたそうです 明治38年に亀山知昭尼が本堂を新築し、昭和3年に寺院に昇格して天龍山昭福寺と改称したそうです その後無住となって衰退して廃寺同然になり、都窪郡早島町の千光寺が寺務を代行しているそうです
昭福寺は岡山県倉敷市茶屋町にあった高野山真言宗の寺院です
天龍山
真言宗
高野山真言宗
宝暦5年
阿弥陀如来
妙空尼
妙林尼
高野山真言宗備中霊場第43番
有り 境内跡が茶屋町地区共同墓地の駐車場になっています