きたしもずなひかわじんじゃ
埼玉県比企郡吉見町北下砂11
松山城落城後に当地に土着した関根兵部左衛門(慶長2年1597年没)が慶長2年(1597)に勧請、下砂村(現在の上下砂・古名・丸貫)の鎮守として崇敬されていたといいます。元禄年間(1644-1704)..
松山城落城後に当地に土着した関根兵部左衛門(慶長2年1597年没)が慶長2年(1597)に勧請、下砂村(現在の上下砂・古名・丸貫)の鎮守として崇敬されていたといいます。元禄年間(1644-1704)に北砂村が分村、一村の鎮守としたといいます。明治4年に村社となり、明治45年には字大根町の無格社弁天社を合祀しています。
、松山城落城後に当地に土着した関根兵部左衛門が慶長2年(1597)に勧請
素戔嗚尊
村社
慶長2年(1597)