くめだじんじゃ
埼玉県比企郡吉見町久米田132
当社の創建は、口碑によれば和銅年間(708-15年)である。古くは倭文神社で、『日本文徳天皇実録』の天安2年(857年)9月条に武蔵国の「倭文一神」として従五位下に昇叙したことが載る。寛文12年(1..
当社の創建は、口碑によれば和銅年間(708-15年)である。古くは倭文神社で、『日本文徳天皇実録』の天安2年(857年)9月条に武蔵国の「倭文一神」として従五位下に昇叙したことが載る。寛文12年(1672年)11月25日に、菅原道真公を配祀した。当時の神像と木札を現在も奉安している。社号も倭文天神社に改めていた。 当地は古代から、白木綿の産地で、正倉院に残る白木綿に「横見郡御坂郷」と記され、しかもこれは飛鳥時代の遺物である。この機織の守護のため祀られたのが当社である。ゆかり深い白木綿は後世にも織られていたようで、明治3年、「養老の典」に浴した地内の内山塩(当時91歳)による手織りの一反が、明治天皇が大宮氷川神社に行幸の折に献上された。 別当は梅松院であったが、維新の際に廃寺となり、現在は社務所になっている。明治4年に村社となり、同年7月に現社号に改称した。
当社の創建は、口碑によれば和銅年間(708-15年)で、古くは倭文神社で、明治4年に現社号に改称した。
建葉槌命(天羽槌雄命)、菅原道眞公
村社
和銅年間(708-15年)