つきやまじんじゃ
山形県西村山郡西川町吉川字中1372-2
鎌倉幕府政所別当大江廣元公の第一 子親廣公は承久の乱に敗れ、自領羽州村山郡 吉川村に退隠する。その時従う家臣の中に高橋四郎満明と言う者がいた。嘉禄元年三月三 日親広公その家臣高橋満明をして月山大権現..
鎌倉幕府政所別当大江廣元公の第一 子親廣公は承久の乱に敗れ、自領羽州村山郡 吉川村に退隠する。その時従う家臣の中に高橋四郎満明と言う者がいた。嘉禄元年三月三 日親広公その家臣高橋満明をして月山大権現の御分霊を勧請し、一社を創建して神田二千束刈 一〇四石五升の地を寄進された。満明初代神主と 高橋家代々明治まで奉仕したが維新後詞官 む 寒河江城主大江氏その後の最上氏又後徳 川氏社領元の如く朱印を以て附された。明治二年 社殿を改築し同七年新山神社神明社等を合祀し 当村の鎮守として仰ぎ奉り、明治七年四月村社に 列せられ村民の鎮守様として祀られ、皇記二千六 百年記念事業として大鳥居狛犬の寄贈があり、名 実共に村の中心として信仰の的となって居り、例 大祭(春祭)には各町内会より俵みこしの奉納が あり六地区を巡幸する。古松杉十数本そびえ立つ 境内地には郷土の先駆者笹島長左エ門翁の彰徳 碑もある。尚五十五年拝殿を新築した。
月詠命 大山祇命
十二級社 旧村社
5月3日