天保十一年に現在地に創建、以来「十一面観音」を祭る「大鍋様」と併せて鎮守の森として、崇敬を集める。明治六年村社に列格。明治二十七年旧名取村三組議定書により「村社祭典は旧八月十二日とし、三神社(山神社、稲荷神社及び十一面観音)を兼ねて行う」と定められる。同三十五年の暴風雨により社殿は倒壊、翌年旧社殿の古材を用いて再建、昭和四年、御大典記念事業として社殿を新築遷座したが、記念として十一面観音の御開帳を兼ねて、同七年花火を打ち上げ剣舞、花相撲などの祭典を盛大に開催する。さらに村山出身者の裁判官から神鏡と石鳥居の建立寄進を受け、村社としての境内社殿ともに一層の充実整備が図られる。平成四年、経塚森にゴルフ場が造成されることに伴って山頂に祀られている山の神石碑及び祠が移転することになり、補償工事として社殿に本殿と弊殿を増築して現在に至っている。