こうみょうじ
岐阜県郡上市明宝気良271
陸奥国白河の関で源氏に敗れたのち巣河(すごう、洲河または州河とも、気良川の上流部)に来た平兼盛によって一宇が創建された。この堂は天台宗長瀧寺の末寺となった。 蓮如上人の噂を聞いた兼盛は文明4年(1..
陸奥国白河の関で源氏に敗れたのち巣河(すごう、洲河または州河とも、気良川の上流部)に来た平兼盛によって一宇が創建された。この堂は天台宗長瀧寺の末寺となった。 蓮如上人の噂を聞いた兼盛は文明4年(1472年)に吉崎へ赴き、蓮如に帰依して淨円の名を賜った。延徳元年(1489年)には伽藍を整えて寺とし、正徳2年(1712年)に光明寺と寺号を定めた。 元文2年(1737年)、気良川下流の現在地に道場を建立して移転した。 再三に渡る本堂の火災により、天台宗のころの阿弥陀如来坐像(本尊)などや、本願寺分裂前の教如上人袈裟および自筆書状などは失われてしまい、写真のみが残る。
明宝気良(めいほうけら)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区郡上組第三ブロックに所属している。 現住職は巣河久美子氏。
天王山(てんおうざん)
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
本願寺直末
不詳
阿弥陀如来
1489年(延徳元年)
淨円(平兼盛)
天王山光明寺
有り(境内東側)