日露戦争で旅順要塞に突撃したことで知られる第3軍第9師団の団付従軍布教使であった佐藤巖英が住職を務めた寺院。佐藤は明治8年(1875年)9月8日に持光寺で生
まれ、明治21年に14歳にして西本願寺で得度、明治27年に本願寺派大学林に入学した。明治30年には父の宗英が死去したため、住職をついだ。大学林卒業後は各地で講演や布教をし、その功績で明治34年8月には27歳にして第9師団付従軍布教使に任命されて師団のあった金沢へ移住した。その後日露戦争の前線で兵らと行動を共にし、明治38年5月に帰国した。その後アメリカなどにもわたるなどして布教を行ったが、大正7年10月24日に44歳で死去した。