たかいじょう
茨城県取手市下高井1437
高井城の築城時期は明らかではないが、長治年間に信太小次郎重国が信太郡から移り住み築城し、相馬氏を名乗ったという。建武三(1336)年の相馬親胤宛「斯波家長奉書」に高井村の名が見え、相馬氏の知行地であ..
高井城の築城時期は明らかではないが、長治年間に信太小次郎重国が信太郡から移り住み築城し、相馬氏を名乗ったという。建武三(1336)年の相馬親胤宛「斯波家長奉書」に高井村の名が見え、相馬氏の知行地であったことを示している。高井城主は代々相馬氏を称し、天正年間に高井下総守直将がはじめて高井氏を称したという。守谷城主・相馬治胤は高井何某の子で、守谷相馬氏に養子入りしているが、高井城主との関係は不明。高井胤永のときに天正十八(1590)年の小田原の役を向かえ、北条氏に味方したため没落した。このときに胤永の三男胤正の子孫が横瀬伊勢守保広を名乗って江戸時代前期まで居住したが、のちに広瀬氏と改め帰農し、廃城となったという。
無料
15分
有り