いくやいだてひょうずじんじゃ
兵庫県姫路市辻井4-4-3
射楯大神と兵主大神を奉斎して、古来より朝廷の尊崇極めて篤く、歴代の国司領主をはじめ地方の豪族もまた深く、崇信の誠を捧げた国内屈指の古名社です。 射楯大神はまたの御名を五十猛命といい、素戔嗚尊の御子..
射楯大神と兵主大神を奉斎して、古来より朝廷の尊崇極めて篤く、歴代の国司領主をはじめ地方の豪族もまた深く、崇信の誠を捧げた国内屈指の古名社です。 射楯大神はまたの御名を五十猛命といい、素戔嗚尊の御子で父・尊と共に新羅国に天降り、多くの樹種をその地に植え、さらに植樹せられた開発創業の有功の神である。 兵主の大神はまたの名を大己貴神といい、これは大国主神のことで、国土経営・産業創始・神威無双の神である。
当社御鎮座の起源は、遠く神功皇后が三韓征伐の御首途に飾磨郡麻生山より事始めの神矢を射させられた時、その矢の落ちた所に御乗船守護の射楯大神と武運必勝の兵主大神を奉祀し、行矢大明神と尊称して戦勝を祈願されたと伝えられ、当社にその神矢が秘宝として奉安されています。
明治3年には姫路藩より「行矢社以来式内之通射楯兵主神社と相唱可申事」と指令されたが、その後故あって藩議一変し、この指定は沙汰止みとなり、以来土地の字に因んで行矢神社と称してきたが、町民の熱誠により神社本庁より社名を行矢射楯兵主神社と改称し、認証されました。