くまのじんじゃ(しょうぶだに)
和歌山県橋本市菖蒲谷830番地
以下、和歌山県神社庁公式HPより引用
当神社は、伊邪那岐命、伊邪那美命を主祭神とし、聖武天皇天平9(737)年の創祀と伝えられ、一村の産土神として現在にいたる。 明治6年4月村社になる。 ..
当神社は、伊邪那岐命、伊邪那美命を主祭神とし、聖武天皇天平9(737)年の創祀と伝えられ、一村の産土神として現在にいたる。 明治6年4月村社になる。 社殿の創建記録はないが、改築・屋根葺替・玉垣修理等に関しては、明治16年、明治37年、大正14年、昭和24年に行われており、これまでは20年を基準に、檜皮葺の屋根替が行われていた『熊野神社改築記録』。 昭和41年の屋根替から、銅板で葺替たとなっている。 昭和58年に玉垣修理、平成4年10月、本殿、境内神社すべての社を新築した。 村民は崇敬篤かったようで、寛政2(1790)年生まれの方以後の、氏子名簿が保存されている。 過去の記録によれば、農作物の凶作か豊作が屋根替に支障したとも記されている。 八幡神社、稲荷神社、太夫神社の3社については、天平年中に創祀すると伝えられるが、大正2年1月村内に鎮座なるものを、合併神社として境内に移転したものである。 (社叢) 境内山林は、主に檜林で、この檜皮で屋根葺替が行われていたようであるが、樹令は定かでない。 (例祭) 10月15日、鎮座日をもって例祭日と定めている。 ◎明治16年。 当時の関係書類は保管されてないが、明治37年屋根替記事のなかで、皆造が明治16年より、21ヶ年に相当するとある。 ◎明治37年旧8月25日。 古来の慣例による、屋根替年は、20年目に当る、明治36年が恰も皆造の年であったが、此の年凶作のため村民の資力稍々凋せるを以て1ヶ年延期した。 37年は日露戦争で、皇軍の偉功を奏したのを記念として、工事に着手した。 収入之部427円77銭7厘、支出之部250円70銭5厘、当時の諸物価、玄米1石14円以上、大工日給50銭、百姓日雇19銭、酒1升39銭。 ◎大正14年10月15日。 21年目に当る、大正13年が相当するも、大正12年の関東大震災の餘波を受け、40年以上もなかった大旱害のため、農民の疲應一増其の度を加え、1年延期して大農作の大正14年とした。 収入の部1,278円、支出の部1,262円、当時の諸物価、玄米1石38円、大工日当2円70銭、村入足1円30銭。 ◎昭和24年4月。 本殿大改築。 ◎昭和41年1月。 収入の部、17,977,607円。 ◎昭和58年2月。 支出の部14,538,677円。 ◎平成4年10月10日。 当時の諸物価、玄米(30㎏)8,340円、大工日当16,000円、村入足7,000円、清酒1升1,780円