つしまもとみやしゃ
宮城県登米市迫町北方字天形160
元禄6年佐沼大火の際類焼に罹り創祀年月を明確にすることは出来ないが、伝えるところによれば武烈天皇の御代、または聖武天皇の天平2年の創建と云われる。建長2年の火災に藤原秀衡奉納の経文金光経全巻焼失をま..
元禄6年佐沼大火の際類焼に罹り創祀年月を明確にすることは出来ないが、伝えるところによれば武烈天皇の御代、または聖武天皇の天平2年の創建と云われる。建長2年の火災に藤原秀衡奉納の経文金光経全巻焼失をまぬかれたことが羽生氏所蔵古文書に見え、又文治年間源頼朝泰衡征討に際し尾州津島神社に祈願勝利を得たので同5年4月栗原郡北方村(今登米郡に属す)天形山に其の分霊を勧請、葛西壱岐守に命じ佐久間左衛門尉定義(羽生氏祖先)に同月28日付にて知行三十九〆文を領せしめ永世神勤せしめたという。天正年間葛西大崎の残徒乱を作し、佐沼城に籠城、伊達政宗之を征むるに当り祈願戦勝奉賽の為津田民部景康に命じ天形山より佐沼一市町(現八日町)の南端に遷宮した。これより本社を元宮(本宮)天王、祇園社、天形山古天王社と称し奉る。佐沼郷総鎮守という。別当修頼大先達宗岳院累代社務に預り明治に至り復飾羽生氏神職となる。明治8年11月村社列格、同40年3月供進社に指定された。現社殿は昭和7年改築にかかるものである。(宮城県神社庁HPより)
素戔嗚尊
有り(隣接の長沼フートピア公園の駐車場を利用)