えりんじ
滋賀県犬上郡豊郷町四十九院818
大中臣清麿の次男・清直が大同2年(807年)に安食荘七郷を領した。のちに武家政権のころに領地を削られたため、安食明神の神職となった。その18世孫である従五位下伊賀守弘尹が天台宗に帰依して出家し、頓証..
大中臣清麿の次男・清直が大同2年(807年)に安食荘七郷を領した。のちに武家政権のころに領地を削られたため、安食明神の神職となった。その18世孫である従五位下伊賀守弘尹が天台宗に帰依して出家し、頓証坊恵眼と名乗って惠林寺を創建した。 永正年間(1504年 - 1520年)に本願寺に帰依して浄土真宗へ改宗し、四十九院(現・唯念寺)の塔頭となった。安政元年(1854年)、改築を行うとともに独立し、本山末寺となる。現在は18世。 北に隣接して、永正3年に犬上郡下之郷城主二階堂出羽守長男・甲良左兵衛佐(出家して良円)が建てた微妙山音通寺があった。こちらも法相宗から永正年間に浄土真宗へ改宗して四十九院塔頭となったもので、享和2年(1802年)に火災に遭うも再興されたのだが、昭和10年に廃寺となって現在は畑地にされている。
瑞光山
浄土真宗
真宗大谷派
不詳
頓証坊恵眼(大中臣弘尹)
1854年(安政元年)
瑞光山惠林寺