ほうつうじ
愛媛県西宇和郡伊方町中浦 甲692
当山は養老元年(717)、開創された近郷きつての古刹である。当初、薬師如来を本尊として「薬王寺」と号した。文正2年(1467)に炎上、本尊は焼失を免れるも、一切の記録は焼失した。 天正5年(1577..
当山は養老元年(717)、開創された近郷きつての古刹である。当初、薬師如来を本尊として「薬王寺」と号した。文正2年(1467)に炎上、本尊は焼失を免れるも、一切の記録は焼失した。 天正5年(1577)、良厳上人の時、丸岡城主、有馬右兵衛佐藤原義通の外護により伽藍を再興。金山出石寺より阿弥陀如来(伝行基作)を迎えて本尊とし、無量寿山来迎院法通寺と寺号を改めた。江戸時代、宇和島藩主伊達家の外護を受け、檀家800余家を有して寺運大いに栄えた。近年、檀信徒会館「遍照閣」を建立し、境内に四国88ケ所御砂踏霊場を開創して信仰を集めている。
無量壽山
真言宗
御室派
阿弥陀如来
四国三十三観音霊場第十七番
有り