ふるだてはちまんじんじゃ
宮城県大崎市岩出山下一栗字片岸浦136
後冷泉天皇の天喜4年源義家、阿部貞任討伐の際、当所において、八幡神を祈り、その神恩に感じ、同年9月豊前國宇佐八幡より分霊勧請すという。後、大崎義隆の一族氏家刑部隆春の崇敬特に篤く、又享保18年9月に..
後冷泉天皇の天喜4年源義家、阿部貞任討伐の際、当所において、八幡神を祈り、その神恩に感じ、同年9月豊前國宇佐八幡より分霊勧請すという。後、大崎義隆の一族氏家刑部隆春の崇敬特に篤く、又享保18年9月には、伊達宗泰(政宗8男三河守)が、社領6石を寄進した。現社殿は、寛永8年9月の造営にかかるものである。明治8年5月村社に列格。
応神天皇
有り