ちょうこくじ
滋賀県高島市音羽495
由緒には諸説ある。うち一つは以下のとおりである。継体天皇の治世、三尾山(嶽山、だけさん)にあった楠の霊木が洪水によって白蓮華谷を流れ下り、音羽の里へ流れ出た。この木は三尾里(現在豊山神楽院長谷寺の飛..
由緒には諸説ある。うち一つは以下のとおりである。継体天皇の治世、三尾山(嶽山、だけさん)にあった楠の霊木が洪水によって白蓮華谷を流れ下り、音羽の里へ流れ出た。この木は三尾里(現在豊山神楽院長谷寺の飛び地)など様々な場所に置かれ、最終的には大和長谷寺近くに置かれた。 白鳳6年(677年)、藤原不比等が母の菩提を弔うために嶽山山頂に創建した。 養老4年(720年、神亀4年/724年とも)、神木を沙弥徳道(徳道上人)と比丘道明が天照大神・春日明神の守護によって3体の十一面観世音として造形したという。木の根本から作られた2体は大和長谷寺、讃岐志度寺へ、木の上のほう(すえ)から作られたものは近江長谷寺にそれぞれ安置された。 正中3年(1326年)、宝篋印塔がつくられた。 いつしか山頂の堂は奥の院となり、山腹に観音堂(本堂)、ふもとに堂宇が築かれた。延享2年(1745年)、大溝藩主・分部光命(わけべみつなり)が参詣者の便を考えて奥の院を観音堂と合わせた。奥の院跡には石造十一面観世音菩薩像を安置した石窟(元嶽岩屋観音)が設けられた。 平成5年(1993年)、中腹にあった観音堂が現在地に移転され、観音堂に薬師堂・太子堂が合わされた。
白蓮山
天台宗
天台真盛宗
677年(白鳳6年)
十一面観世音菩薩
藤原不比等
白蓮山長谷寺
長谷観音
近江西国第7番札所 高島西国第33番札所 高島郡八十八箇所第35番札所
木造薬師如来坐像(琵琶湖文化館寄託) 重要文化財
7月9日 千日会・岳まいり 本尊御開帳(33年に1度だが天皇即位記念として2019年に開帳)
無料
10分
有り(境内)
有り