佐貫城は波に削られ、消失してしまった幻の城です。佐貫城が築かれていた場所は刑部岬と呼ばれ、現在は飯岡灯台が建っています。このあたりの海岸線は高さ60mほどの崖が直立した地形になっているため、屏風ヶ浦として景勝地になっています。太平洋の荒波に台地が削られ、このような絶景となりました。「東洋のドーバー」と呼ばれ、その美しさを称されています。佐貫城が存在したとき、その台地は海に向かって今よりもっと張り出していたといわれています。その天然の要害を利用して、海城が築かれたのでしょう。まさに波に削られた「幻の城」ともいうべくロマンの詰まった城です。佐貫城の構造や、使用されていた時期などの詳細は定かではありませんが、昭和60年頃、北方には土塁と思われる遺構など、城の一部が残っていたといいます。現在は、残念ながら遺構は残っていませんが、『平家物語』や『源平盛衰記』に佐貫城は登場し、片岡常春が城主だったと書かれています。常春は、「源義経四天王」として浮世絵などにも描かれている人気の高い人物で、義経に同行し戦ったとされています。その常春の武勇とともに、「佐貫城」の名は歴史に刻まれているのです。