さほじんじゃ
兵庫県加東市東実34
養老六年(722)、天児屋根命が阿倍野三郎太夫なる翁に神託を下し、それに従い鎌倉峰から遷座したのが始まりとされる。 宝亀十年(779)、比売大御神と大名牟知廼命を合祀して社殿を建立、大同四年(80..
養老六年(722)、天児屋根命が阿倍野三郎太夫なる翁に神託を下し、それに従い鎌倉峰から遷座したのが始まりとされる。 宝亀十年(779)、比売大御神と大名牟知廼命を合祀して社殿を建立、大同四年(809)には勅使の良峰安世を遣わし奉弊した。 寛平五年(893)にも社殿を造営していることから、すでに大規模な社領を有していたことが伺える。 寿永三年(1184)、三草山の戦いの際の残党狩りによって焼討に遭う。 文治五年(1189)、由羅野原(現在の社の佐保神社社地)に分社として社殿を建立し、遷座された。由羅野原の佐保社にはやがて門前町が発展することになり、鎌倉幕府成立後には北条政子により檜の鳥居が社領の内外八ヶ所に造営された。 正和五年(1316)、播磨守護職赤松円心が社殿を再建、神田を献じた。 しかし観応二年(1351)には南北朝の兵乱(観応の擾乱)により、またも社殿が焼失。 17世紀前半頃には氏子間に紛擾が起こり、これを期に由羅野原(社)の佐保神社とは本社と分社の立場が逆転したと考えられ、東実の佐保神社は御旅所としての役割を担うようになったとされている。 元禄十三年(1700)、社殿がようやく再建されるもやがて荒廃、天保四年(1833)に仮殿が造営、天保十四年(1843)、現在の拝殿が再建された。 明治六年(1873)には郷社に列せられた。
天児屋根命、比売大御神、大名牟知廼命
旧郷社
養老六年(722)
無し(天保十四年(1843)再建の拝殿が本殿を兼ねている)
境内自由
無料
約15分
有り
無し