かめやまはちまんじんじゃ
広島県神石郡神石高原町小畠550-1
治暦元年八月、山城国石清水八幡宮より御分霊を勧請し当国八郡の鎮守神とした。 その後、兵乱のため社殿の修復が久しく絶えて腐朽し、元弘年間桜山城主四郎入道が再建修復した。しかし、南北朝の戦乱にて桜山四..
治暦元年八月、山城国石清水八幡宮より御分霊を勧請し当国八郡の鎮守神とした。 その後、兵乱のため社殿の修復が久しく絶えて腐朽し、元弘年間桜山城主四郎入道が再建修復した。しかし、南北朝の戦乱にて桜山四郎入道は備後一宮の吉備津神社に籠り、社に火を放ちて自害し、その余族は当社に籠り社殿を焼いた。 永正年中、小畠九鬼城主馬屋原但馬守正国が再建立する。さらに、承応二年、村田伝三郎、江村庄助が郡奉行神谷九郎兵衛に社殿再建を願い出、福山城主水野勝種が代官に命じ、郡中の民を勧誘して社殿を復興した。 元禄十六年、豊前国中津城主奥平大膳太夫が現在の社殿を再建する。また同年、当地方十五ヶ村を志満里(志摩利)庄と称し、当社を総産土社とした。 明治四十年、村内の大山祇神社、大歳神社など四十二社を合祀する。
仲哀天皇、応神天皇、宇治稚郎子、神功皇后、仁徳天皇
郷社
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