まつさきじょう
千葉県香取郡多古町東松崎1957
松崎城は多古町の東、常盤地区の東松崎に築かれました。日蓮宗寺院である勝栄山能満寺を中心とした、舌状台地全体に広がる城です。松崎城の周囲には栗山川の支流が流れていて、城があった当時は湿地に囲まれていた..
松崎城は多古町の東、常盤地区の東松崎に築かれました。日蓮宗寺院である勝栄山能満寺を中心とした、舌状台地全体に広がる城です。松崎城の周囲には栗山川の支流が流れていて、城があった当時は湿地に囲まれていたと考えられます。現在、台地の大部分は寺院や人家が広がり、かなり改変されているため城の構造は不明です。しかし、比高20mほどの台地は切り立ち、周囲には大きな土塁や曲輪、また虎口と思われる遺構が点在し、小丘に築かれた要害であることが見てとれます。地元では「物見塚」と呼んでいる高台もあり、見張りのための施設があったことが想像できます。城域の中心に建つ能満寺は、寺伝によると天文5 年(1536年)に日運上人が開いたといいます。日運上人は正木氏に連なる人物で、松崎城の歴史は不明ながらも、千葉一族の領地である多古に、里見氏、正木氏の勢力が入り、何らかの関係を持っていた経緯があったことが考えられ、水陸の要衝であった多古の中世における重要性が浮かび上がってきます。