すみよしじんじゃ
広島県広島市西区草津南1-7-23
享禄年中の頃、毛利家の御船大将、児玉周防守が草津城主であった時、城の鎮守として創建されたと伝える。 その後、山麓に遷され、文化六年五月二十六日に社殿再建、さらに文政五年に至り、新たに築造された草津..
享禄年中の頃、毛利家の御船大将、児玉周防守が草津城主であった時、城の鎮守として創建されたと伝える。 その後、山麓に遷され、文化六年五月二十六日に社殿再建、さらに文政五年に至り、新たに築造された草津港の堤防上に遷され、港湾と海上守護の神として崇敬された。 現在は干拓が進み社地から海は遠のいたが、往時はしばしば津波や台風で社殿が流出したと伝える。
綿津見神、三筒男命(表筒男命、中筒男命、底筒男命)
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