ちょうらくじ
大阪府阪南市鳥取中725
当山の前身は平野寺と呼ばれ、平安時代後期から室町時代まで存在したとされている。その縁起は伝わるところによれば、天平年間(729~49年)行基菩薩が7堂伽藍の巨刹を造り、1寸8分の胎蔵大日如来を安置し..
当山の前身は平野寺と呼ばれ、平安時代後期から室町時代まで存在したとされている。その縁起は伝わるところによれば、天平年間(729~49年)行基菩薩が7堂伽藍の巨刹を造り、1寸8分の胎蔵大日如来を安置したという。 江戸時代に著された『泉州志』には「昔は大門、金堂、大日堂、白山社などのほか、6坊を有する寺院であった」とあり、山内よりは平安時代から鎌倉時代のものと思われる軒瓦や鬼瓦が出土している。 その後、1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻めの際に兵火により、伽藍はことごとく灰塵に帰したが、 江戸時代に入り、観音堂と庫裏のみが再建されている。庫裏は老朽化により1972年(昭和47年)に鉄筋コンクリート造りに改築され、今日に至っている。
平野山
真言宗
真言宗犬鳴派
十一面観音菩薩