えいほうじ
岐阜県高山市下一之町152
飛騨国主姉小路尹網の家臣で姉小路家四天王の一人だった宮川是重は、足利軍との戦いに敗れ主君を討死により失った。是重は無常を感じて白川郷に入り、照蓮寺7世・明円の弟子となって是心坊と号したと伝えられる。..
飛騨国主姉小路尹網の家臣で姉小路家四天王の一人だった宮川是重は、足利軍との戦いに敗れ主君を討死により失った。是重は無常を感じて白川郷に入り、照蓮寺7世・明円の弟子となって是心坊と号したと伝えられる。 慶長5年(1600年)、是心坊は高山の現在地に移り、暎芳寺を創建した。
下一之町(しもいちのまち)にある真宗大谷派の寺院。高山別院の塔頭で、同派岐阜高山教区高山1組に所属している。 現住職は宮川暁声氏。
浄華山
浄土真宗
真宗大谷派
1600年(慶長5年)
是心坊
浄華山暎芳寺
JR高山本線高山駅 から徒歩13分 別院前バス停 から徒歩4分