くにつじんじゃ
和歌山県有田郡湯浅町田63
以下、和歌山県神社庁当該ページより抜粋
伝説によれば、素盞鳴命・大己貴命・建御名方命等、澳津島(曽加美)に至り給い、その後、小浜の大蛇島に移りて、大己貴命(大國主命)宇気(現代は壁の口という)..
伝説によれば、素盞鳴命・大己貴命・建御名方命等、澳津島(曽加美)に至り給い、その後、小浜の大蛇島に移りて、大己貴命(大國主命)宇気(現代は壁の口という)の巌窟に鎮座し給う。 元正天皇(715―723 奈良時代)の御宇神託ありて、吾この地に居ること久し、吾のために一宇を創建せよ、とのことで祭祀された。 その後、村上天皇(平安時代)の天暦2(948)年三輪大神の神託ありて、紀伊の海浜に大己貴命鎮座せり、汝すみやかにその他を尋ねるべし、と。 大和國國栖人三輪の臣の弟、阿部橘司が、この神託をうけて海浜を尋ねたところ、吾この地に住むこと久し、一宇を創建して吾を奉祀せよ、と。 その後、小浜の巌窟から(現代、物原という)に遷祀した。 更に亀山天皇の文永7(1270)年宇賀の森(現在の地)に遷座し奉りて今日に至っている。 後醍醐天皇の御宇叡慮をもって、当所一円を賜うたという。 当社は、もと國津呂の宮といい、國主大明神社といったが、やがて國津神社と称され現在に至っている。 南海道紀伊國神名帳に、在田郡坐9社の中、官知神3社とあり、その中で、従四位上國津神社と記されている。 明治40年及び42年神社合祀によって、旧田栖川村各地に祀られた神社を当國津神社境内に合祀された。
伝説によれば、素盞鳴命・大己貴命・建御名方命等、澳津島(曽加美)に至り給い、その後、小浜の大蛇島に移りて、大己貴命(大國主命)宇気(現代は壁の口という)の巌窟に鎮座し給う。
大己貴命 少名彦命 大穴牟遅命
木造銅板茸入母屋造
10月15日
無料
有り