みやうちじんじゃ
愛媛県西条市宮之内47
舒明天皇十一年(639年)に舒明天皇の勅命で行宮跡の当所に大三島明神を勧請し、三島新宮と呼ばれたのが始まりと言う伝承があります。源平合戦で社殿を焼失するものの、河野通俊公によって再建。のち南北朝時代..
舒明天皇十一年(639年)に舒明天皇の勅命で行宮跡の当所に大三島明神を勧請し、三島新宮と呼ばれたのが始まりと言う伝承があります。源平合戦で社殿を焼失するものの、河野通俊公によって再建。のち南北朝時代にも兵火で宝器などを失うも、延元二年に満良親王の御願で太刀を奉幣。
創建時期は不明ながら舒明天皇の時代に勅命で当地に三島明神を勧請したとの伝承あり。延喜式内社・周敷神社の論社の一つで周布の周敷神社と度々論争を繰り広げた歴史があります。この論争は西条松平家の裁定で敗れ、現在に至っています。
大山祇神、高龗神、雷神
不明
無
有り