たもうはちまんだいじんじゃ
愛媛県伊予郡松前町大字西古泉697番地
仲哀天皇の9年(200)ころ、神功皇后が三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、湧き出る清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる吉兆にちなんでこの地を「濃染の里(こいぞめのさと)」と命名した。帰途、また船を..
仲哀天皇の9年(200)ころ、神功皇后が三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、湧き出る清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる吉兆にちなんでこの地を「濃染の里(こいぞめのさと)」と命名した。帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって久欺美玉(くしみたま)を玉生林にまつったが、後世、郡司がここに社殿を造営して久欺美玉宮と称して崇拝した。 文武天皇の慶雲4年(707)六月十七日、伊予の豪族小千玉興(おちのたまおき)・玉純(たまずみ)が厳島神社より三女神を勧請して久欺美玉宮に合祀し、日女宮(ひめみや)と称した。 清和天皇の貞観元年(859)の宇佐八幡宮の神霊を勧請し、日女宮に合祀して、玉生八幡大神宮と改め、後、玉生八幡大神社と改称した。 玉生八幡は、加藤嘉明の崇敬篤く、嘉明の松前城より松山城への移転は、玉生八幡の御宣託の夢占いによるものともいわれている。もとは、南面していたが、このころ西向きに改修されたという。 以来、産土大神として地域の尊崇がきわめて篤い。
伊予郡松前町にある、仲哀天皇の時代に遡る古社である。
誉田別命
10月14日 例祭
伊予鉄道古泉駅より徒歩17分。
境内駐車可能