うねおつたもとじんじゃ
奈良県橿原市木之本町114
創建は不明だが、『万葉集』巻第二の二〇二に、 「哭沢の神社に神酒すゑいのれどもわご玉は高日知らぬ(泣沢神社の女神に神酒を捧げて薨じられた皇子の延命を祈っているのに、皇子はついに天を治めになってしま..
創建は不明だが、『万葉集』巻第二の二〇二に、 「哭沢の神社に神酒すゑいのれどもわご玉は高日知らぬ(泣沢神社の女神に神酒を捧げて薨じられた皇子の延命を祈っているのに、皇子はついに天を治めになってしまわれた。)」 その左注に、 「右一首、類聚歌林に曰は桧隈女王の泣沢女神[2]を怨むる歌といへり。日本紀を案ふるに云はく、十年丙申(696)の秋七月辛丑の朔の庚戌、後皇子命薨りましぬといへり」と記されている。これは、持統天皇十年(696)に、松隈女王が再生の神に神酒を捧げ高市皇子の延命を祈ったのに、蘇ることなかったという、泣沢女神を恨む和歌である。この事から畝尾都多本神社は、飛鳥時代には既に存在していると考えられる。
万葉集の記載により、飛鳥時代には既に存在していると考えられる式内社である
泣沢女命
井戸
式内社、旧村社
啼澤神社・哭沢神社・泣沢神社
9月下旬の日曜日