か くおういん
青森県弘前市大字湯口字一ノ安田95―1
覚應院は、五代藩主信寿の時に家老喜多村が故あって、茶臼館に不動尊を安置したことに始まる。 以来代々の藩主の崇敬を受け、藩の祈願所となり寺禄二十俵を受けたといわれている。
茶臼館は、堀が三重に..
茶臼館は、堀が三重になっている要所の天険であって、長慶天皇が紙漉沢御所におられた時、供奉の溝口左膳亮が東方警備に当たった所である。 溝口氏は代々修験者(山伏)の流れをつぐ家で、溝江と改姓したのは江戸の末期であったといわれている。 溝口氏は長慶天皇崩御の後もこの地に在住し、行峯山を開いたもようである。
また、覚應院住職であった覚有和上は、七代目の住職であるが、先祖が修験宗を始めてから十七代目であるといわれている。 往古・長慶天皇に仕えた溝口左膳亮から六百年の星霜をつたえている。
行峯山
覺應院
真言宗
醍醐派
浪切不動尊
津軽弘法大師二十三霊場 7番札所 津軽七福神「寿老人」霊場
9:00〜17:00
有り、乗用車50台
本堂内にあり。