ひめこそじんじゃ
佐賀県鳥栖市姫方町189
御祭神:市杵島姫命、八幡大神、住吉大神、高良大神、管原道真 祭礼日:七夕際・8月7日、放生会祭・9月15日 由緒:当社の原初祭神は、織女神(たなばた姫)であった。このいわれは「肥前国風土記」..
御祭神:市杵島姫命、八幡大神、住吉大神、高良大神、管原道真 祭礼日:七夕際・8月7日、放生会祭・9月15日 由緒:当社の原初祭神は、織女神(たなばた姫)であった。このいわれは「肥前国風土記」姫神郷の段に詳しい。 時移りて弘仁2年(811)時の村長某が豊前国宇佐八幡宮の分霊をここ姫方の地に勧請、先ず徳丸というところに行宮を建てて祀り、のち現霊地に社殿を建立して奉還、住吉大神、高良大神を合祀して八幡宮と称し姫方村の氏神とした。(略) この八幡宮勧請以後、本来の主神である織女神は疎外されていたが、明治の御一新に当たり村人は相はかって近くの「たなばた屋敷」におわした織女神を市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し奉り、社名を姫古曽神社と改めた。以後、たなばた祭が執り行われるに至った。
肥前風土記によれば、 姫社の郷、此の郷の中に川あり。山途川(今の山下川)と言う。此の川の西に荒ぶる神ありて路行く人が多く殺害されたりしたので、宗像の人、珂是古(がぜこ)なる者に占わせて、旗を風上に放ったところ此の地に落ちた。
よって、社を建て、姫古曽神と称え斎き祀ったところ、それ以来災いは無くなったと。そこで此の地を姫方と称し、幡を放った所を幡崎という。
しかし、世の変遷に従い主神は一民家に移され、宇佐より八幡宮の分霊を奉祀し、更に住吉高良の二神を合祀して八幡宮と称して来たのを、維新の際、取り調べの結果、主神姫神を戻し、姫古曽神社と改称し、村社に列せられた。無格社合祀により、祭神彦火々出見尊ほか一柱追加する。
別名を七夕神社。
市杵島姫命 八幡大神 住吉大神 高良大神 菅原道真
旧村社
七夕神社
七夕祭 8月7日
元旦祭 1月1日 ほんげんきょう(どんと焼き) 1月7日 放生会 9月15日
境内自由
無料
15分
なし そばの公園に駐車場あり